音音是好音 〜 布施音人のブログ

原爆の図 丸木美術館 に行った

2022/8/3

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2022年7月31日日曜日。埼玉県東松山市に、かねてより車で渡ってみたかった橋があり、日中の数時間を使って少しドライブに出かけた。

都幾川にかかる稲荷橋。四万十川のものが特に有名な、沈下橋というタイプの橋。
▲都幾川にかかる稲荷橋。四万十川のものが特に有名な、沈下橋というタイプの橋。

この橋の近く、都幾川に面した場所に、「原爆の図 丸木美術館」という美術館がある。美術館の存在は地図で見て以前より知っていたが、訪れたことはなかった。渡りたかった橋は渡れたし、ちょうど時間が1,2時間あったので、案内看板に誘われるようにして、美術館を訪れた。

太めの道から美術館の方へ曲がると、乗用車一台分の幅しかない道であった。見通しも悪く、少し先が不安になったが、民家や畑や林の間を抜けていくと程なくして美術館に到着した。始めに「遠いところをよく来てくださいました」という少し古めの看板が目に入り、なんとも温かな気持ちになった。

駐車場に車を停め、美術館へ向かった。駐車場には2台ほど車が停まっていたが、あたりに人影はなく、ただ蝉の声が響き渡っていた。入り口右手の小さな窓口で入場料900円を支払って中に入る。

左が美術館の入り口。右手前は「八怪堂」。右奥は「原爆観音堂」と「流々庵」。
▲左が美術館の入り口。右手前は「八怪堂」。右奥は「原爆観音堂」と「流々庵」。

この美術館は、画家の丸木位里(1901-1995)、丸木俊(1912-2000)夫妻が、「共同制作≪原爆の図≫を、誰でもいつでも、ここに来れば見ることができるようにという思いを込めて建てた美術館」(『原爆の図 丸木美術館 ミニガイドブック』より)である。

入り口入ってすぐの物販を横目に、左手の階段でまず2階に上がるのが順路である。2階の常設展示室には、「原爆の図」全15枚のうちの第1部から第8部までが展示されている。

常設展示室に入ってすぐの、第1部「幽霊」を観た途端、心の中がざわつき、いいようのない強い感情に襲われた。絵の描き出す光景やその意味、絵が描かれた意義、表現力の高さ、線の表現と水墨画様の表現の融合の妙などについて考えを巡らせようという脳内の働きを全て飲み込んで、何かとてつもないものを目の前にしているという実感を受けた。

今これを書きながら原爆の図の写真を見ても同じ感覚は決して得られないし、だいいちこの文章も記憶を頼りに後から言葉付けをしているに過ぎないのだが、とにかくその場で受けた印象は強烈であった。そして、その一瞬だけだったとしても美術館に来た価値が十二分にあると本当に思えた。

日曜の昼間ではあったが、館内にはそれほど人はおらず、2階に自分一人だけという時間が得られたので、8枚の絵それぞれと自分なりにゆっくり向き合うことが出来た。ただ、頭は全く追いつかなかった。丸木夫妻が30年をかけて完成させた連作をせいぜい数分間で鑑賞できるわけがない。壮大な景色を前にして時間を忘れて立ち続けるときのようにして、8枚の絵の前をただただ徘徊していた。

その後1階におり、常設展示室で残りの絵を鑑賞した。第12部「とうろう流し」は他館へ貸出中、第15部「長崎」は長崎原爆資料館蔵のため観ることはできなかった。

1階奥の企画展示室へ至る途中の左手に、「小高文庫」へ上がる小さな階段がある。「休憩していって下さい」のような看板につられて階段を上がると、そこには本棚と机に囲まれた和室があった。

低い机の上には画材があり、自由に絵を描いて良いらしかった。南向きの窓越しに見える緑がまた美しい。
▲低い机の上には画材があり、自由に絵を描いて良いらしかった。南向きの窓越しに見える緑がまた美しい。

小高文庫は、武州松山本陣小高家の書庫を移築したもので、丸木夫妻がアトリエ兼書斎としていた部屋とのこと。部屋の両側に本棚があり、また窓際には低い机があって、その上には多くのスケッチブックと色鉛筆などが置かれていた(自由に絵を描いて良いそう)。ここも独り占めできたので、畳の上で足を組み、音や匂いに身を任せてしばしボーッとしていた。

企画展示室では、「ニューヨークを拠点とし、核の歴史的悲劇とテーマとして日米両国でのリサーチやインタビュー、またアーカイブの研究を通して、制作活動を続けてきた」蔦谷楽の個展、「ワープドライブ」が開かれていた(10/2まで)。企画展示室に築かれた、バラックをモチーフにした建物に映像作品が投影され、また別室には絵画作品がズラッと展示されていた。蔦谷氏の作品も、心に強く投げかけてくるものがあり、時間の関係もあって映像作品を最後まで鑑賞できなかったことが悔やまれる。

さらに奥の新館ホールには、「水俣の図」「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣・原発・三里塚」の4枚の巨大な絵が展示されている。心がいっぱいになってしまった私は早々に切り上げて出てきてしまった。

美術館入り口そばから臨む都幾川の風景。丸木位里の故郷の太田川の風景に似ていたらしい。他の季節にも訪れたいものだ。
▲美術館入り口そばから臨む都幾川の風景。丸木位里の故郷の太田川の風景に似ていたらしい。他の季節にも訪れたいものだ。

本を2冊ほど買って美術館を出た。もともとこの丸木美術館の建つ土地は、丸木位里の故郷、現在の広島市安佐北区あたりを流れる太田川のほとりの風景に似ていることから選ばれたらしい。

先述の小高文庫も丸木夫妻のアトリエ兼書斎であったが、実際にこの土地で長年の制作活動が行われていたことを考えると、丸木美術館とその展示物だけではなく、周囲の建物やこの都幾川の風景も含めた全体が、大きな意義を持ったひとつの場であり、それが丸木美術館なのだろう、と思った。そして、「原爆の図」という作品を飾ることを第一の目的に建てられた丸木美術館の出自などもあわせ、「美術館」というものの在り方を大いに考えさせてくれた。

この日は丸木美術館を訪れることができて本当によかったと思う。毎日毎日、電子機器の画面にばかり向き合い、視覚情報は画素の集合体で代用できるのだと無意識のうちに前提を置いてしまっていたであろう自分の意識に、喝を入れられた気分だった。

絵画は決して電子的な情報に置き換わるものではない。そう口では言えるものの、日々画面を通してしか絵に触れない我々は、その経験的根拠を失いつつあるのではないか。そして、画面で何度も観たような有名な絵をただ観に行き、ただ記号として受容するだけでは、その根本的解決にはならない。今回、事前情報のあまりないままに原爆の図と対面し、何かとてつもないものを目の前にしているという実感を得られたことは、本当によい体験であった。

そして、芸術は、鑑賞者にそのような言葉にならない訴えかけをしてこそ芸術なのだという、前から持っていたような持っていなかったような信念を自分の中で再確認した。ただ、音楽でそれができるのだろうか?絵画のように明確なモチーフがあるわけでもなく、鑑賞者が各々のペースで細部に注目することも叶わず、歌詞のような言語表現にも頼らないとして、同じ強度の訴えかけをすることが音楽にできるだろうか?